自分 の 感受性 くらい。 「自分の感受性くらい」〜心打つ、茨木のり子さんの詩

の 感受性 くらい 自分

次回は、「自分の感受性くらい」の詩からは少し離れて、茨木のり子が深く関わりを持った朝鮮との関係について書きたいと思います。 それだって立派に「守り抜く」ことになるのだと思う。 生前の暮らしぶりがわかるファン必見の作品 茨木のり子が生前に暮らしていた家の様子が、たくさんの思い出の写真や詩とともに収録されています。

11
(茨木のりこさんは,最近では『倚りかからず』という詩集がかなり売れた詩人です。
の 感受性 くらい 自分

つい長居をしてしまうほどに穏やかな空気が流れているその場所が心地よくて、時間ができると足を運ぶようになっていた。 初めてこの詩を読んだ時は強い衝撃を感じました。

9
機嫌が悪いのは誰のせいでもないのです。
の 感受性 くらい 自分

そんな友人たちが各所で奮闘している世界は、いつかきっと良い方向に向かうという信頼だ。 1999年、晩年になって刊行された詩集『倚りかからず』は、詩集では異例となる大ヒットを記録しました。

2
まずは自分を大切に、 そのあとで周りも大切に。 本当に久しぶりにページを繰って「図書館員の本箱」にこれを書こうと思ったのもあるきっかけがあったからだ。
の 感受性 くらい 自分

少し前、「就職したばかりの時、Sさんからこの詩集を勧められたんですよね!」と 後輩が若い職員の前で明るく暴露し、冷や汗をかく事があった。 『自分の感受性くらい』茨木 のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志しにすぎなかった だめなことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 最後の一言は、 そうですね、すいません! と言ってしまいそうになるほど 耳が痛くなります。

自分だけが劣っているような、周りから嫌われたような…。
の 感受性 くらい 自分

今から思うと、その当時はどんな精神状態で、どんな心境だったなのかなど思い出せませんが、今読んでもグッと胸がつかえるような詩であることに変わりはありません。

) わたしが一番きれいだったとき わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがらと崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき 誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね 出典:. その中で隣の人を助け思いやる気持ちが育つだろうか?教育の現場で、言葉で言うのは簡単だろうが、もっと生きている社会の実感として、肌の感覚としてはどうだろうか。
の 感受性 くらい 自分

町の中心からやや離れている 歩いて市街地へ行き 庄内交通バスの「加茂・湯の浜温泉行き」に乗車 加茂港が見えたら下車。

心に刻みたい素敵な詩 私が心の友とする、大好きで大切な一編の詩を紹介します。 改めて読み返したいことばでした。
の 感受性 くらい 自分

彼女にそれを伝えると、「私とさとゆみさんは、別々の山を同じ方法で登っているのだと思う」と言われた。

19
だから、もう二度とこのような思いはしないぞ、と立ち上がった。 親を看取った友人がいる。
の 感受性 くらい 自分

その負け組にならないように、自分の責任で「よい大学」に入り、「よい職場」に入り、そのために「よい高校、よい中学校、よい小学校」に入り…。 今日も、この詩が頭の中に浮かんできました。

13
最後の「ばかものよ」の一言がズシンと来た。 願うほどに世界は美しくなっていくのだということを忘れないためにも。
の 感受性 くらい 自分

大人になると、 社会性や責任感に常に晒されて 心の「抑制」が標準になってしまい、 感性が曇っていくことが多々ある ということは私も伝えてきましたが、 茨木のり子さんのメッセージは、 それすら自分のせいなのだという忠告に どきりとします。 激しくも強い愛情に圧倒されるとともに、伝わってくる喪失感に胸が締めつけられます。

そしてそれは絶対に誰にだって可能だ、ということを信じているから書けるのだ。 「私の何を知ってこんなことをいうのか!」と怒りがこみあげてくる。